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はてなブログに移行しました。D言語の話とかいろいろ。

今日の言葉


真の勇気は第三者の目撃者のいない場合に示される。

    F・de・ラ= ロシュフコー(17世紀のフランスのモラリスト

そうそう、そうだよね。
でもたまに、見られていないつもりでも実は見られていて褒められてしまう場合もある。
そういうとき、「あ、自分、いいことしたんだ。」と思わない人はいない・・・と思う。
それで、もっと褒められたい、と意識してしまうと、もうそれは勇気にはならないんだなあ。
見返りを求めるようでは、勇気とは言えないから。

しかしそうなると褒めるほうは難しい。
いいことをしている子を褒めないのは、なんかおかしいし。
しかも誰にも見られてないのにしている子ならなおさら褒めてあげたいよなあ。
でもそこで褒めたら勇気を失うかもしれない。
でもそこで褒めなかったら形だけでもいいことしている子が「見返りもないのにやってらんねー」となるかもしれない。

自慢話かもしれないが、すでにだいたい予想できると思うので書いてしまおう。
高校だか中学だかのとき実験室での授業後に一人で椅子を整理していたら、まだ残っていた先生に褒められた。
まあそこまではいいとしても、その後で名前を聞いてきて・・・、成績に加点してくれるとおっしゃった。
そのときから、なんか微妙な気分になるんだよなあ。
俺は誰のためにやってるのか?
そう考えてしまって、すっきりしないわけだ。
そんなことは気にしないで好きなようにやりゃあいいんだけど。
先生も、名前を聞いた後は心に留めておくくらいで、加点するとか言わなきゃいいものを(^^;

ちなみに、椅子を整理していたのはA型の部分の血が発動したものと思われ善行の意思はあんまりなかったと思われます(w